使える庭づくりを考えています。

人に見てもらうより自分が楽しめる庭づくりを試行錯誤しながら楽しんでいます。

自己中で世の中まかり通れるのか?

己の主張を是が非でも通したいから、暴力で訴えるのですか。

自分と考え方の違う人間の存在を否定すれば、自分の意見が正しく評価されるのですか。様々な立場の人間がこの世には存在します。その全てを受け入れることは不可能でしょう。お互い対立することは勿論、避けられません。しかし、自己を中心に物事を考えてしまっては、問題は永遠に解決できないでしょう。それが事実です。

もちろん、単純に妥協するだけでも、物事解決できません。しかし、反対意見にも耳を傾けることが大切なのです。何か問題が発生した場合、その解決方法は様々です。何がヒントになるか分かりません。基本的に他人の意見に耳を傾ける余裕が無ければ物事を解決することは不可能でしょう。

自分の意見や考え方が受け入れられないからと言って、暴力に訴えるのは人間として愚かなことです。暴力は暴力を生み、助長するだけです。殴られたら殴り返される覚悟は必要でしょう。たとえ、どちらかが弱気になり暴力に屈したとしても、恨みが残ります。歴史を紐解けば、その事実は明らかでしょう。暴力によってトラブルを解決できた事例はありません。暴力を引き起こす根本の原因が自己中なのです。

先進的な考えを取り入れたいなら、自己中を戒めるべきです。

尖閣列島が誰のモノかを争うよりも、どうしたら生かせるかを考えるべきです。ちょっと考えれば尖閣列島付近の資源を有効に生かすためには、争いよりも協力が必要であることは明らかです。尖閣列島の価値はその海域に眠っている膨大な資源です。その資源を人類の発展のために有効に生かすことが、最優先で取り組まなければならないことなのです。自己中を捨てて、冷静に考えなければ、その答えは得られません。

莫大な資源があっても、それを有効に生かさなければ何の意味もありません。

独り占めしても有効に生かす手段を打ち出せなければ、宝の持ち腐れです。責任を果たすことも出来ません。海底奥深く眠っている資源を製品化するには途方もない時間と金、そして労力、さらには技術力、アイディアが必要になってくるのです。より多くの人たちが、互いに手を取り合わなければ、開発など一歩も進まないでしょう。

略奪や破壊行為、さらには罵倒して精神的な苦痛を与える行為は犯罪です。少なくとも犯罪だと考え、罪の意識を持てる人格が、協力関係がより重要になる、これからの世界、すなわち未来には必要です。犯罪を見てみない振りをして、犯罪を正当化するような国作りをおこなって、その国に未来はあるのでしょうか。善悪の区別も出来ないような指導者の下で、幸せな生活が営まれるのでしょうか。

人は生まれてきた以上、少しでも幸せな人生を歩むべきです。